浦和区 本太

延命寺 浦和区本太1-42[地図]


日の出通り、京浜東北線のガードから500mほど東の交差点を左折し北へ向かうと300mほど先の道路右手に延命寺の入口があった。入口から本堂に向けてアプローチはかなり急な上り、途中左手の大きな木の前に寺標が立っている。


寺標の手前まで続く壁の切れるあたり、隠れるように石仏が立っていた。大乗妙典供養塔 元禄16(1703)笠付き角柱型の石塔の正面 阿弥陀三尊種子の下に千手観音菩薩立像を浮き彫り。塔の左側面に「奉讀誦大乗妙典壹千部所願成就攸」と刻まれている。


蓮台に佇む千手観音菩薩像。笠付きのおかげだろうか、白カビもなく美しい状態。胸前で合掌し腹前に宝珠を持つ。後ろの手は矛、法輪、弓矢、数珠、羂索などを持ち、前の手と合わせると十四臂となっていた。


塔の裏面に造立年月日。


左側面には梵字「ア」の下に回向文が刻まれている。


境内に入ってすぐ左手に六地蔵菩薩塔 宝暦5(1755)が並んでいた。像のほうは後から補われたものもあるようだが、台はほぼ揃っていて、いずれも正面に銘が刻まれている。


左から2番目の台の正面 中央に「講中五十五人」とあり、両脇に造立年月日が刻まれていた。


六地蔵の左に 大乗妙典供養塔 延享元年(1744)隅丸角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中 梵字「バク」の下に「大乗妙典一千部供養塔」塔の両側面に造立年月日。さらに左側面に願主 延命寺 豪栄と刻まれていた。

延命寺北路傍 浦和区本太1-40-2[地図]


延命寺の180mほど北、道路右側、防災井戸の前に石塔が立っている。


馬頭観音塔 昭和8(1933)小さな粗彫り駒型の石塔の正面に「馬頭観音」風化が進み銘は読み取りにくい。

観音堂 浦和区本太2-23[地図]


国道463号線の旧道、京浜東北線のガードの東の信号交差点から、坂道をのぼって200mほど先の道路左側の石材店の脇の路地に入り、しばらく進むと観音堂の入口に着く。


境内に入ると左側に五基の石塔が並んでいた。


左から普門品供養塔 明治2(1869)大きな四角い台の上の角柱型の石塔の正面に「普門品供養塔」


塔の右側面に造立年月日。左側面には武州足立郡 本太村。


台の三面に銘がある。彫りが薄く読みにくいが、正面に12名、右側面に13名の名前。



左側面、初めに2名の名前があり、施主は合わせて27名か?続いて世話人とあり、3名の名前が刻まれていた。


その隣 庚申塔 正徳3(1713)正面に三猿が彫られた大きな四角い台の上、角柱型の石塔に丸彫りの青面金剛坐像。他の地域では珍しいタイプだが、同じような構造の丸彫り青面金剛庚申塔が東浦和から武蔵浦和の地域に7基もある。(2019年2月7日の記事で紹介済)


厚い蓮台に座る三眼忿怒相の青面金剛。頭上にうず高くとぐろを巻く蛇をのせる。一部欠けているが六臂は健在で、合掌手以外の持物は矛・法輪・弓矢。弓矢を持つ下の手は青面金剛の腿の上に置かれていた。


角柱型の石塔の正面、右に武州浦和領本太村 施主十三人。左に造立年月日。下部に施主13名の名前が刻まれている。


続いて庚申塔 3(1774)四角い台の上の宝珠をのせた笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。


塔の表面は全体に粗くなっていた。ユーモラスな顔立ちの青面金剛。下の手の持物は弓矢ではなく棒のように見える。


足元の邪鬼は頭を左にして横たわるが、その様子はいまひとつはっきりしない。その下に小さな三猿。両脇が内を向くが左の猿は正座か?右の猿も窮屈そうに足を折り曲げていた。


塔の左側面は無銘。右側面には武州足立郡本太村。その左に造立年月日。下部に講中二十六人。その横に二名の名前が刻まれている。


その隣 四角い台と角柱型の石塔の上に丸彫りの地蔵菩薩立像 宝暦12(1762)


石塔の正面、右に造立年月日。続いて願主 □岳道浩大徳、施主 當邑中と刻まれていた。10年前には隣の宝筐印塔とこの地蔵菩薩塔を墓石と判断して取材をしなかったが、どうやら軽率だったようだ。


塔の左側面に足立坂東第三番。この観音堂は廃寺となった瑞岸寺のお堂で、足立坂東三十三ヶ所霊場の第三番であるという。


右側面に歌が刻まれている。霊場である本太観音堂の御詠歌だろうか。


右端 屋根型笠付きの宝篋印塔 安永6(1777)塔身四面に四仏の種子。江戸時代中期以降らしく塔身、基礎ともに蓮華座が付く。


基礎の正面中央に「日本回國供養塔」両脇に造立年月日。


残り三面、右側面は法華経から採った偈文。裏面に大姉、童子、法士などの戒名。左側面には□□神社仏閣で始まる銘文の終わりに願主、世話人各一名の名前が刻まれていた。