朝霞市仲町・本町の石仏

朝霞駅東口南東路傍 朝霞市仲町2-6

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朝霞駅東口のロータリーを出て南へ歩いてゆくと、右手路傍に小堂が立っていた。

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小堂の中 馬頭観音坐像 大正10(1921)三面六臂。舟形の光背を持つが、像自体に
かなり厚みがあり、丸彫りのような印象を受ける。顔の表情などもユニークで、
また坐像ではあるが結跏趺坐でもなくあまり見たことのない座り方をしている。
かなり個性的な馬頭観音だ。右側面に年号。それ以外の銘は見当たらなかった。

廣澤観音堂 朝霞市本町3-5-28

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朝霞駅西口のロータリーから南に歩く。図書館入口交差点の先、右手に広沢の池が
ある。池のほとりに小堂が立っていた。

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不動明王立像 文久2(1862)塔の右側面に年号。左側面 上新倉村 膝折宿 廣沢
それぞれに3名の施主名が刻まれている。

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池の奥に観音堂がある。参道の右側、小堂とその脇に石塔が立っていた。

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右 廻国供養塔 享保3(1718)梵字「バク」の下「日本廻國六十六部諸願成就所」
両脇に造立年月日。さらに願主敬白。實誉浄眞と刻まれている。

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小堂の中 地蔵菩薩立像。下の塔の部分はかなり剥落が見られ文字などが読めない。
左側面 ほぼ全面剥がれている中かろうじて「文化」の文字が見えた。1800年代
初頭のものと思われる。こうやっていろいろな石仏を見ていて感じることだが、
寛文とか元禄あたりの江戸時代初期の石仏は割合しっかりしているものが多く、
文化年間以降の江戸時代後期の石仏に剥落、崩落が多く見られるような気がする。
これはなぜだろう?

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参道の左側 石灯籠に挟まれるように石塔が立っていた。

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普門品供養塔 明治32(1899)自然石に大きく「普門品供養塔」と刻まれている。

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さらにその先 左側に小堂があり、三基の石塔が立っていた。右端に卵形の僧侶の
墓塔があり、歴代住職の墓石を集めたものかもしれない。

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左 資料によると十一面観音立像 延宝4(1676)頭部はその大きさ、色合いなどから
あとから補修されたものと思われる。衣服の様子は観音像にふさわしいと思うが、
本来の頭部を欠いた状態で十一面観音像とする根拠はどこにあるのだろう?
像にも台にもそれらしい銘は確認できなかった。

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像の右側面に年号。正面には観音堂中興□西と刻まれていた。

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中央 地蔵菩薩立像 貞享3(1686)光背左に年号。光背右に刻まれた文字はうまく
読み取れないが僧侶の戒名だろうか。

二本松路傍 朝霞市本町1-21

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朝霞駅西口から北に向かって10分ほど歩くと朝霞市民会館入口交差点のすぐ手前
右手角に二基の庚申塔が並んでいた。ここ二本松は庚申塔が立つ旧道の目印として
朝霞市の指定史跡文化財になっている。

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左 庚申塔 明和7(1770)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。全体に
白カビがひどい。足の両脇に真っ白な二鶏。邪鬼は仰向けで腹部を踏まれている。
三猿は左の猿だけ右向き、残りの二匹の猿は左向きでちょっと変則的な感じだ。

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塔の右側面 こちらも真っ白な中に「奉待青面金剛郷中繁昌者也」

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左側面は比較的きれいだ。中央に武州新坐郡溝沼邑講中十八人造之と刻む。
左脇に年号。下部には講親 橋本 三郎右衛門と刻まれていた。

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右 庚申塔 天明4(1784)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。こちらも
一部白カビに覆われている。足元に大きめな邪鬼。その横に二鶏だろうか?
三猿は中央の猿は正面向き、両側の猿は内向きで足を投げ出す形をとる。

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塔の右側面「奉造立青面金剛」その下に講中二十□人と刻まれている。

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左側面 右上端に年号。続いて武州新座郡願主 左に溝沼村橋本権左門と刻む。