大興寺 緑区大門 [地図]

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国道463号線は岩槻街道の東、大門北交差点で右へ曲がり越谷方面に向かう。
この大門北交差点を左折してしばらく行くと右手、大興寺の山門へ続く参道の
入口がある。山門を入った左側にたくさんの石仏が並んでいた。

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左から六地蔵。顔が欠けているものもあるが像の様子などから六体は一緒に
建立されたものではないだろうか?残念ながら銘などは確認できない。

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隣に笠付の石塔 享保7(1722)正面に奉造立六地蔵尊で始まる偈文が刻まれている。
左側面に武州大門町之住 施主として個人名があった。左の六地蔵と同年か?

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続いて地蔵菩薩立像 享保12(1727)光背に奉納百地蔵菩薩順禮二世安楽祈所、脇に
大門町 坂下、新田 下野田と刻まれている。足下に施主 西女善男貳百とあった。

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塀の角の前に庚申塔 宝永7(1710)青面金剛立像 合掌型六臂 左上の手にショケラ。
右側面に奉造立庚申供養二世安楽所、左側面に足立郡大門町結衆の文字が見える。
また下部の方には三面に渡って結衆と思われる人の名前が刻まれていた。

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地蔵菩薩坐像 明和9(1772)大きな台の正面に奉造立地蔵大菩薩二世安楽也とある。
右手の錫杖は失われている。左側面 導師 大興寺住 永光と刻まれていた。

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続いて小型の庚申塔 天明5(1785)正面に草書体で庚申塔と彫られている。右側面
大門町願主講中二十三人 施人近郷などと見える。左側面に大門町施主敬白とある。

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隣 五道消滅塔 文政9(1826)正面に五道消滅、右側面には四國第四十七番写八坂寺
秩父第四番写荒木寺と彫られていた。左側面には歌が刻まれている。下の台には
三面に渡って 願主 女人中 上組と大きな字が彫られていた。

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聖徳太子塔 天保12(1841)下の台におびただしい数の名前が見える。とても数える
気にはならなかったが、資料によると一町三村170名だという。

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続いて庚申塔 享保14(1729))青面金剛立像 合掌型六臂 邪鬼が見えず下部は三猿。
左下の手にショケラを持つ。このパターンはあまり見ない。右側面に 供養導師
奉造立庚申像現當安全祈所とあった。左側面には足立郡大門町。三面それぞれ
下の方に10名ほどの女性と思われる名前が並ぶ。中に結衆等、敬白などとあった。

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この列の最後、一番右には庚申塔 明和2(1765)青面金剛立像 合掌型六臂 が立つ。
瑞雲や手の様子など彫りは写実的で細かい。両足の下の二匹の邪鬼も面白い。
右側面に年号があるが、施主などの詳細がわからないのは意外。もともとあった
台がなくなって今の台は代わりのものだとか、そんな事情でもあるのだろうか。

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本堂側の塀の前にも六地蔵が祀られていた。六体の像の色や台の様子などから
六体の統一感は薄いように思う。年代等不明。

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横に立つ徳本上人書体の六字名号塔 文化14(1817)側面に念佛講中敬白、台にも
世話人、講中の名前が多く刻まれていた。総高3メートル近い。一面を使って
「五十年夢のうき世と思ふへし/ねても覚めても後世を忘るな」
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その隣 ひと際高く弘法大師供養塔 天保5(1834)びっしりと梵字が刻まれていた。

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山門を入ってまっすぐ進むと正面は観音堂。その参道の右側に手水鉢がある。
その表の面には見事な馬の浮き彫りがあった。

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嘉永2(1849)の作。裏の面には 寄付 戸塚・間宮・下野田・差間・中野田・大崎
北原・辻・玄蕃新田 各村の名が刻まれ、世話人の名前が続く。その中には八丁堀、
日本橋、人形町の商人の名も。最後に當所石工清次郎と誇らしく刻まれていた。

緑ヶ丘墓苑 緑区大門 [地図]

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東川口駅南口から西に進み川口市から緑区に入ってすぐ、右手に石塔が並んで
いるのが見える。その奥には墓地があった。

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右 庚申塔 明和3(1766)青面金剛立像 合掌型六臂 両足下に二匹の邪鬼を踏む。
下に三猿が彫られていた。右側面に奉建立庚申供養。台に講中11人の名がある。

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庚申塔 天保11(1840)塔身の左側面に足立郡大門宿とある。すぐ下の台には講中と
あり、下の大きな台に三猿が彫られていた。隣の庚申塔の三猿とよく似ている。

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出羽三山供養塔 文化15(1818)円の中に月山湯殿山羽黒山とあり、供養塔と続く。
こちらも左側面に足立郡大門宿と刻まれていた。台には大きく講中と彫られる。

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少し歩いて奥の墓地の門を東から入ると、その左の一角に石塔が並んでいた。

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地蔵菩薩立像 貞享3(1686)光背に奉造立念佛供養諸願成就處結集老若男女願主と
刻まれていた。

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虚空蔵菩薩坐像 宝暦6(1756)右手に剣。左手は残念ながら先が破損していた。

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その左奥に光明真言金剛供養塔 安永8(1779)が立っていた。上部円の中の部分は
光明真言を表しているらしい。右側面 自利一門他則普門成道文と刻まれている。
素直に読むとそうなるが意味不明。左側面に 沙門 恵照造立とあった。


JR武蔵野線北沿線路傍 緑区大門 [地図]

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緑ヶ丘墓苑を出て西に進む。その先の交差点を右折し武蔵野線を越えてすぐ、
右手の小高くなったあたりにブロックに囲まれてポツンと石塔が立っていた。

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庚申塔 寛文10(1670)下部に素朴な三猿。中央の彫りはとても薄く読みにくいが、
奉新造立庚申供養成就処となっているようだ。

春日神社東路傍 緑区大門 [地図]

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場違いなほど広い道路をさらに北へ歩いて行くと左側に春日神社が見えてくる。
その東側の畑の中にお地蔵様が立っていた。

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地蔵菩薩立像 宝暦7(1757)光背右に奉納念佛講中 施主と刻まれていた。
左下にある字はうまく読めないが、入会六村ではないだろうか?

椚谷墓苑南畑隅 緑区大門 [地図]

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上のお地蔵様から少し南へ戻りすぐ東に折れて東川口駅方面に歩く。二本目の
道を北に入りまたすぐ右に曲がると広い畑の南隅に二基の石仏が並んでいた。

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庚申塔 寛政7(1795)青面金剛立像 六臂 右手に鈴、左手にショケラ。この地域では
このパターンも結構見かける。邪鬼の頭が向かって右というのも少数派ではある。
右側面に天下泰平國土安全、三猿の下の台に講中と彫られていた。

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地蔵菩薩立像 明和9(1772)千地蔵供養為二世安楽也、足下に施主4名の名を刻む。

大門神社参道 緑区大門 [地図]

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JAさいたま大門の先、大門神社の細い参道を歩くと途中に庚申塔があった。

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庚申塔 天明5(1785)正面に庚申塔その脇に天下泰平國土安全と刻まれていた。
左側面に大門町とある。明治時代に大門村が成立。以前は大門町だったらしい。


御成街道北 駐車場の中 緑区大門 [地図]

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国道463号線美園郵便局付近で北へ入った先の駐車場の中に庚申塔が立っていた。

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庚申塔 天明元年(1781)青面金剛立像 合掌型六臂 青面金剛はエキゾチックな風貌。
蛇の冠をかぶり、正面向きで歯をむきだした邪鬼を踏んでいる。その下部に三猿。