富士浅間神社 岩槻区府内1-6-24



国道16号線の府内交差点から南に入り100mほど先、右側に富士浅間神社がある。南側の鳥居から階段を登ってゆくと、左手に大きな石灯籠に隠れるように三基の石塔が立っていた。左から二基が庚申塔。



左 庚申塔 天和2(1682)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。



大型の光背に青面金剛立像を浮き彫り。顔ははっきりしない。後ろの上左手には蛇が巻き付く。足の両脇に二鶏。光背両脇に造立年月日が刻まれている。



足下にはボーっとした感じの邪鬼。邪鬼の下に正面向きの三猿。その下の部分にはたくさんの名前が刻まれていた。



中央 庚申塔 宝永5(1708)大きな唐破風笠付角柱型の庚申塔。塔の正面を浅く彫り窪めた中に青面金剛立像を浮き彫り。

 

六臂の青面金剛。顔が潰れている。右手に羂索、左手にショケラを持つというあまり見ない組み合わせ。



足下には面白い形で邪鬼がうずくまり、さらにその下に正面向きに大きめの三猿を彫る。



塔の右側面「奉造立青面金剛二世安樂結衆敬白」その下に大きな雄鶏が彫られていた。左側面に造立年月日。その下にはやはり大きな雌鶏。三猿を三つの面に配置するのは時々見かけるが、二鶏を両側面に配するのは珍しいのではないだろうか。



拝殿は高い所にあるが、その東下は広場になっていた。小堂が立ち、中に大小二基の石塔が並んでいる。右は丸彫りの地蔵菩薩立像。



左 庚申塔 元禄9(1696)こちらも赤い前掛けのために像の様子は見えないが、前掛けの下から三猿が顔を出す。



確認のため失礼して前掛けを外して一枚だけ写真を撮らせてもらった。塔の表面は風化が進み文字も不鮮明。合掌型六臂の青面金剛は顔の真ん中がざっくりと削れていて痛々しい。



境内の東南の角、草の中に小さな石塔が立っているのに気が付いた。



庚申塔 文政5(1822)塔の正面に「庚申」両脇に造立年月日が刻まれている。



塔の左側面、東左とあり、その下に こしがや、大さわ、のじま。さらにその下にも文字があるようだが確認はできなかった。



右側面 こちらは 南右とあり、川口、そうか。やはり下部の文字は読み取れない。

 

久伊豆神社 岩槻区村国606



元荒川右岸沿いに広がる岩槻文化公園の南に久伊豆神社がある。鳥居の右脇に三基の庚申塔が並んでいた。



左 庚申塔 寛文11(1671)江戸時代初期によくある板碑型の三猿庚申塔。正面を彫り窪めた中に文字を刻み、その下に三猿を彫る。



中央 梵字「ウン」の下「奉供養庚申待為二世安樂也」両脇に造立年月日。下部には二十名ほどのの名前が刻まれていた。



その下に素朴な三猿。カビも多く顔などの様子などはわからないが、その姿はどこかかわいらしい。



中央 庚申塔 享保5(1720)光背全体にカビが回り、かなり風化が進んでいる。



日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。後の上左手にショケラをかかげる。銘は読み取れなかったが、資料によると、光背右に「奉供養庚申尊像」左脇に造立年月日。その下には村国邑 同行廿六人と刻まれているという。



青面金剛はM字型に腕を張った正面向きの邪鬼の頭に乗っている形。その下に三猿。左の猿だけが内側を向く。三猿の両脇に二鶏が彫られていた。



右 庚申塔 天和3(1683)大きな舟形の光背を持つ。それなりにカビもあるが、像のあたりは比較的きれいだ。



日月雲の下 しかめ面をした青面金剛立像 合掌型六臂。光背の両脇に造立年月日。



背中を踏まれた邪鬼は抱き枕のような体形で、小さな手足がちょこんとついている。両脇には二鶏。その下に正面向きの三猿。さらに三猿の下の部分にたくさんの名前が刻まれていた。

中島天神社 岩槻区村国158付近



猿田彦大神塔の前からさらに東に向かうと岩槻文化公園の一部に突き当たるが、その中間あたり、道路右側に中島天神社がある。その手前脇に庚申塔が立っていた。



庚申塔 安政6(1859)塔の正面に「庚申塔」素朴な文字塔に見えるが・・・



塔の右側面を見ると、上部にリアルな左手が浮き彫りされている。その下に此方 のじまみちと刻まれ、道標になっていた。



左側面に造立年月日。その横は「野道」らしい。下部に村國村講中、さらにセハ人とあり個人名が刻まれている。

 

香林寺跡墓地 岩槻区飯塚1589-48隣



県道48号線の南、細い道の通った住宅街の中に墓地があった。入口右、雨除けの下に二基の庚申塔が並んでいる。



左 庚申塔 元禄3(1690)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。唐破風笠付、笠の正面に卍。青面金剛の後ろ上左手に比較的大きなショケラがぶら下がっていた。「岩槻型」だが、このショケラは青面金剛に縋りついているようにも見える。



下部に正面向きM字型の邪鬼。その下に三猿。さらに薄く二鶏が彫られ、台の正面には飯塚村、六名の名前が刻まれている。台の両側面にもそれぞれ七名の名前があり、合わせて二十名になる。



 塔の右側面、中央に「奉供養」その下右に「梵天待釋青面金剛尊躰」左に「現世安穏後世佛昊菩提」左側面は中央に「三庚申」その下右に「講中家内般昌諸願成就」左には造立年月日が刻まれている。



右 庚申塔 安政4(1857)角柱型の石塔の正面 日月雲「庚申塔」台のほうの三猿は左右の猿が足を投げ出して向かい合って座る。



塔の右側面「天下泰平國土安全」左側面に造立年月日。正面に三猿が彫られた台の右側面にはひらがなで二十近い名前。左側面には世話人とあり、二名の名前。さらに埼玉郡飯塚村と刻まれていた。

法華寺 岩槻区飯塚1359



山門をくぐり境内を奥に進むと本堂の前の庭の中に唐破風笠付きの立派な庚申塔が立っていた。



庚申塔 享保16(1731)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。頭頂部が平らな独特の髪型、後ろの二組の腕が上下に直角につきH字型、首にドクロの首輪など、典型的な「川口型」ここまで分布があるとは意外だ。像はカビもなく驚くほど美しい。



足下に顔をしかめた邪鬼。その下の三猿との間にしっかりとした二鶏を彫る。三猿は右の見猿は両足を前に出して座り、左の言わ猿は正座というユニークな構図。



塔の左側面「奉造立庚申尊容」その周りに天長地人・國泰民安・風調雨順・五穀豊□。右側面には大きく造立年月日。その脇に講中善男女現當二世諸願成就所と刻まれていた。




本堂の前を通り西の広い墓地に入ってゆくと、左手に十数基の石塔が整然と並べられている。右の5
基は北向きでいずれも庚申塔、左側の8基は東向きに立ち、そのうち3基が庚申塔だった。



北向きに立つ五基の右端 庚申塔 元禄2(1689)光背上部に卍。日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。頭には蛇が巻き付き、目を吊り上げ睨みつける。後ろ上左手にショケラを持つ「岩槻型」光背右「奉造立庚申供養敬白」左脇には造立年月日が刻まれていた。



足下の邪鬼は正面向きM字型。その下にやはり正面向きの三猿を彫り、両脇に二鶏を線刻。三猿の下の部分に十名ほどの名前が刻まれている。



その隣 庚申塔 元文2(1737)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。足下の両脇、比較的高い位置に大きめな二鶏。青面金剛に踏まれた邪鬼は左向き。その下の三猿は両脇が内向きに座っている。



塔の右側面に造立年月日。左側面中央「奉造立庚申尊像」右脇に「善根増長願望□成」左脇に「講中家内子孫福壽榮昌」と刻まれていた。



続いて庚申塔 寛政12(1800)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。細かく技巧的な彫り、独特の紋様、裾の跳ね上がった衣装に小さなショケラがしがみつく。青面金剛は両足で二匹の獅子のような邪鬼の頭を踏み、その下には立派な二鶏を彫る。塔の右側面に造立年月日。左側面には飯塚村講中と刻まれていた。



下の台は土の中に深く埋まっていて、正面にかろうじて三猿の姿が確認できる。 




その左隣 庚申塔 寛文10(1670)江戸時代初期の板碑型三猿庚申塔。正面を彫り窪めた中、卍の下、五行に渡って銘文が刻まれているが、一部は風化のために読みにくく、読める部分もあまり意味がはっきりしない。右から二行目には「庚申夜・・・」という文字が見えた。中ほどにしっかりとした三猿が彫られ、その下には八名の名前。縁の部分に造立年月日。さらに施主敬白。その下には大きな蓮の花が彫られている。



 北向きの五基の石塔の左端 庚申塔 元禄3(1690)卍の下に日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。光背の両脇に造立年月日。全体にカビが多く付着していて、文字を読み取るのもままならない。足下の邪鬼は頭が左向きで、その両脇は二鶏か?



邪鬼の下、正面向きの三猿の下の部分には細かい文字で二十人ほどの名前が刻まれていた。



東向きに並ぶ八基の石塔。右端 庚申塔 貞享4(1687)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。後の二組の腕は彫りが浅く平面的。上左手には蛇が絡みつく。二鶏は青面金剛の膝の脇、比較的高い位置に彫られていた。足下のまんまるな顔をした邪鬼は妙に腰を高く上げ背中を踏まれている。その下の三猿も左右は正座。これも珍しい。三猿の左脇に二名の名前、世話人だろうか。三猿の下には十六の名前が刻まれていた。



その隣 庚申塔 元禄11(1698)光背上部に卍。日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。後ろの上左手にショケラをかかげる。光背両脇に造立年月日。



邪鬼は正面向きのM字型。その両脇に二鶏、下には正面向きの三猿。台が無く塔だけがじかに立っている形。塔の下部が結構深く土に埋まっている可能性もあり、施主名、銘文などは三猿のさらに下のほうに刻まれているのかもしれない。




その隣 庚申塔 寛政8(1796)塔の正面、日月雲。大きな文字で「庚申塔」上部両脇に造立年月日。その下に飯塚村 講中十七人。この写真でははっきりしないが、「塔」の文字の下の三つの膨らんだ部分はどうやら三猿のようだ。