重殿社入口 緑区中野田 [地図]

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東北自動車道の浦和ICの北の付近に重殿社があり、その東側入口に庚申塔が
並んでいた。真ん中に大きな像塔 宝永3(1706)、両脇に堂々としたそろいの
文字塔 弘化3(1846)、またその両端に二基の小型の文字塔 左 文政8(1825)
右 寛政5(1793)が続く。年代から考えると弘化の二基は同時に作られた物で
中央に宝永の像塔を置いて両脇に立てるようにはじめから意図されたものの
可能性が高い。両端の二基は、他の場所にあったものを後から移して祀った
ように思われる。


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中央の像塔。青面金剛立像合掌型六臂。笠の下、日月から三猿まで破綻なく
収まっている。経年のため表面は若干溶けかかっていた。下の台に卍と法輪。
右側面は読みにくいが奉庚申供養二世安楽所だろうか。三猿の下から側面に
かけて何人かの名前が刻まれているがこれもはっきりしない。その最後に
女道行?拾二人と刻まれているように見える。

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弘化3年の二基。基本的に構図、構成などはほぼ同一と言える。こちらが左。
大きく庚申と彫られ、下部に三猿が遊ぶ。

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左の石塔の三猿の部分をアップで。独自の世界が広がる。石工の息遣いを感じる。

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こちらは右の三猿。構図は一緒だがそれぞれの猿がまた違った動きを見せている。
上の写真の三猿と比べて欲しい。二基とも下の台に大門という文字が見える。

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右の塔の右側面、16文字の偈文が彫られている。左の塔も同様である。

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両方の塔の左側面には揃って中野田邨と刻まれている。

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右の三猿の側面に阿津沢氏を筆頭に13人の名前が刻まれていた。左の塔のほうも
同じく阿津沢氏はじめ13人の名前が刻まれているがよく見ると少しだけ違う。
三猿の右側面も同様にそれぞれ13人の名前が刻まれていた。

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こちらは三猿の真裏。これは二基とも全く同一の内容だった。江戸時代後期の
この頃、有力者が先に立って村の力を合わせて二基の庚申塔を建立したのだろう。

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左端の文字塔。正面は庚申塔と彫られ、左側面に中野田村と刻まれていた。

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右端の文字塔。正面には庚講中。左側面には小左衛門とあった。