朝霞市溝沼の石仏

蔵王権現社 朝霞市溝沼7-4

DSC_0515.jpg
朝霞台駅南口の正面の道路のはじめの交差点を左折して坂道を降りてゆくと
その先に病院がある。このT字路を右折し、コンビニの先でまた左折すると
田園風景の中、舗装路が続く。黒目川を渡りやがてT字路に突き当たるが、
このT字路の角の住宅の外、神社の脇の雨よけの下に庚申塔が並んでいた。

DSC_0516.jpg
左 庚申塔 宝暦6(1756)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。表面は磨耗があり
はっきりしない。大きめの邪鬼は両手をあごの下にいれてくつろいでいる?
三猿は正面向き。二鶏は確認できなかった。下の台の正面には講中とあり、
橋本氏9名、吉野氏1名の名前が刻まれている。

DSC_0518.jpg
塔の左側面に年号。右側面「奉造立青面大金剛」続いて武州新座郡溝沼村。

DSC_0520.jpg
右 庚申塔 寛保2(1742)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。こちらのほうが
表面も比較的きれいで見やすい。彫りも技巧的で足の両脇にはっきりした
二鶏を彫る。足元の邪鬼は両腕を踏ん張って青面金剛の重みに耐えている。
三猿は中央が正面向き、残りの二匹は内を向く。

DSC_0521.jpg
塔の右側面に年号。その下に溝沼村とあり4名の名前が刻まれていた。
左側面には講中とあり、こちらには5名の名前が刻まれている。

DSC_0527.jpg
奥に石尊大権現塔 慶應2(1866)石灯籠の形をとる。基壇が大きい。竿部の正面
「奉納石尊大権現」その両脇に大天狗・小天狗。裏の面に年号。

溝沼氷川神社 朝霞市溝沼6-23

DSC_0531.jpg
蔵王権現社から西に向かい道なりに進むと左側に氷川神社がある。

DSC_0535.jpg
その境内の奥、ブロック塀の前に石塔が並んでいた。

DSC_0536.jpg
左から 庚申塔 延享2(1745)正面 梵字「ウーン」の下「奉待庚申供養諸願成就所」
両脇に造立年月日。その下に三猿が彫られている。

DSC_0539.jpg
右側面 武州新座郡溝沼村講中とあり、その下には十数名の名前が刻まれていた。

DSC_0543.jpg
隣の石塔、正面はかなり剥がれ落ちているが天下泰平、國土安全と刻まれている。
左側面を見ると「宝篋印陀羅尼經云・・・・・」どうやらこちら塔身部を欠いた
宝篋印塔らしい。笠の上にあるはずの相輪も欠けてしまったのだろうか。

DSC_0545.jpg
左側面に武州新座郡溝沼邑 普門品講中。続いて宝暦4(1754)の銘が刻まれていた。

DSC_0547.jpg
下の台の正面と右側面にはそれぞれ十数名の名前が刻まれている。

DSC_0548.jpg
中央に大小あわせて五基の記念碑が立ち、その右に小型の石塔が並んでいた。
左から 大六天塔 明治39(1906)右側面に光善寺と刻まれている。

DSC_0549.jpg
続いて稲荷神社 昭和4(1929)左側面に願主橋本氏2名の名前が刻まれていた。

DSC_0551.jpg
隣の石塔 上部 日月雲の下に富士山だろうか?下部には3人の人物を浮き彫りに
している。富士講、あるいは御嶽講か、いずれにしても山岳信仰の供養塔だろう。
3人の人物は行者と考えられる。右側面には天保2(1831)の銘が刻まれていた。

DSC_0554.jpg
その右の石祠。正面に文字は見えないが小さな弁財天像が置かれている。下の台の
右側面に文政8(1825)の銘があり、続いて武州新座郡溝沼邑と刻まれていた。

DSC_0556.jpg
一番右には小御嶽石尊大権現塔 文化15(1818)小御嶽神社は富士山にあるらしい。
石尊大権現は丹沢の大山神社、山岳信仰のつながりなのだろう。右側面に年号。
下の台の三面にそれぞれ十名ほどの名前が刻まれていた。


光善寺 朝霞市溝沼6-4-66

DSC_0566.jpg
氷川神社からバス通りに出て、朝霞駅方面に向かって坂道を登ってゆくと、
途中左手に光善寺がある。境内にはいると右側に石仏が並んでいた。

DSC_0567.jpg
小堂の中、右端 庚申塔 宝暦9(1759)日月雲 青面金剛立像 合掌型六臂。全体に
風化が進み、笠も丸くなっていてまるできのこのようだ。右脇「奉待庚申供養」
左脇には年号。青面金剛の顔がはっきりしない。風化の為だけではなく意図的に
削られたような感じがする。足の両脇に二鶏。足元の邪鬼は頭を踏まれている。
その下に三猿。塔の両側面には蓮の花が彫られていた。

DSC_0572.jpg
その隣 文殊菩薩立像?貞享5(1688)光背右 「藥來山中□蓮□□誉上人大和尚」
僧侶の墓塔だろう。光背左に年号を刻む。

DSC_0573.jpg
続いて阿弥陀如来立像 寛保2(1742)光背左に年号。こちらは個人の墓塔のようだ。

DSC_0574.jpg
中央 地蔵菩薩立像 延享3(1746)左手に宝珠。右手の錫杖は失われている。

DSC_0578.jpg
塔の部分 正面中央 梵字「ア」の下「奉納大乗妙典六十六部日本廻国」上部両脇に
一實諦儀・一乗妙念。下部右脇 四国讃州丸亀領 左脇に願主 個人名を刻む。

DSC_0580.jpg
4番目 地蔵菩薩立像 元禄14(1701)お地蔵様の顔は削られているのか、顔立ちは
はっきりしない。光背上部に梵字「ウン」右脇には「奉待庚申供養二世安樂所」
左脇に年号。足の下の部分に武州溝沼村 施主とあり5人の名前が刻まれていた。
続く二基の石塔はいずれも個人の墓塔で享保19(1734)享保7(1722)の銘がある。

DSC_0587.jpg
小堂の外、大日如来立像 正徳3(1713)光背右に権大僧都とあり、こちらも
僧侶の墓塔のようだ。上部に梵字「バン」智拳印を結ぶ金剛界大日如来。
白カビに覆われているが、超然とその気高さは印象的だ。

光善寺南西路傍 朝霞市溝沼5-8

DSC_0559.jpg
光善寺の南、バス通りの南側の住宅の前に庚申塔が立っていた。

DSC_0560.jpg
庚申塔 安永5(1776)日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。足の両脇に
二鶏。足元に邪鬼と三猿が彫られている。

DSC_0561.jpg
塔の左側面に年号。右側面 武州新座郡溝沼村 二拾壱人講中と刻まれていた。

朝霞第三中学校南東路傍 朝霞市溝沼4-8

DSC_0192.jpg
バス通りを志木方面に向かい氷川神社入口交差点の少し先、コンビ二の向かいの
住宅の角のところに小堂が立っている。

DSC_0188.jpg
右 地蔵菩薩坐像 享保11(1726)麦藁帽子をかぶってすまして座っていた。下の台は
最近のものだが、資料によると古い台の正面に年号が刻まれていたらしい。

DSC_0190.jpg
左 馬頭観音塔 大正13(1924)正面「馬頭観世音」両脇に年号が刻まれていた


泉蔵寺 朝霞市溝沼3-8-5

泉蔵寺は黒目川の右岸、朝霞第十小学校の南にある。朝霞台方面から橋を渡って
アプローチするとお寺はすぐ目に入ってくるが、そこはお寺の裏口。山門の前に
出るには塀の外をぐるっと回ることになる。

DSC_0187.jpg
山門の目の前に本堂。その右手が広い墓地になる。その入口付近に歴代住職の
墓地があった。中央には二基の大日如来像が並んでいた。

DSC_0184.jpg
左 大日如来立像 元禄8(1695)丸彫りの大型の立像だ。大日如来は智拳印を結ぶ。
蓮台の正面に年号。続いて法印権大僧都と刻まれている。

DSC_0185.jpg
右 大日如来立像 寛文9(1669)規模、像容とも左の立像とよく似ている。こちらの
蓮台にも権大僧都の文字が見え、いずれも僧侶の墓塔のようだ。

DSC_0270.jpg
山門の右手に鐘楼があり、その後ろに不動明王坐像 文久4(1864)があった。

DSC_0146.jpg
燃え盛る火焔の光背。下部に制吒迦童子と矜羯羅童子が彫られている。

DSC_0147.jpg
二童子の彫られた面の右の側面には年号が刻まれていた。

DSC_0149.jpg
その奥に馬頭観音堂が立っていた。堂の中 馬頭観音坐像 明治40(1907)一番下
大きく観音講と彫られた台座。その上に正面に「馬頭観世音」と刻まれた塔。
さらに蓮台の上に丸彫りの坐像が乗っている。

DSC_0148.jpg
日輪光背を持つ三面八臂の馬頭観音。丸彫りの多臂像でありながらほとんど
破損がないのは珍しい。欠けているのは一番下の左手の持物と馬口印を結んだ
手の二ヶ所。彫りも丁寧で、その顔の表情なども迫力がある。

DSC_0150.jpg
台の右側面 世話人とあり、溝沼11人 濱崎3人の名前が刻まれていた。左側面も
世話人とあり、膝折16人の名前が刻まれている。

DSC_0278.jpg
裏面は隙間が狭い。當山檀徒総代として5名の名前。その奥に年号を刻む。

DSC_0279.jpg
同じ堂の中、小さな馬頭観音塔 大正10(1921)が立っていた。個人のものらしい。

1DSC_0264.jpg
墓地の奥のほうに観音堂がある。観音堂のほうにも入口があり、ここからは
左手に本堂の屋根が見えている。観音堂の左手に二基の地蔵像が立っていた。

DSC_0269.jpg
観音堂の横 地蔵菩薩立像 元文2(1737)合掌する地蔵菩薩。個性的な顔立ちだ。

DSC_0174.jpg
台の正面「奉納大乗妙典六十六部供養」脇に 天下泰平・國土安全。さらに
その両脇に造立年月日を刻む。下部右に 武州新座郡溝沼村、左 願主 得岸。
右側面に施主四名の名前。左側面 導師 泉蔵寺 法印宥泉敬白と刻まれていた。

DSC_0164.jpg
観音堂の手前左に地蔵菩薩立像 寛文8(1668)右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。

DSC_0265.jpg
蓮台の右のほうから「為念佛講中供養也」同行十六人。正面付近 武州新倉郡
廣沢之庄 溝之广村。左に造立年月日が刻まれている。

DSC_0154.jpg
観音堂の入口に向かう参道の左側に六地蔵の小堂が立っていた。

DSC_0156.jpg
両脇に六地蔵を従えて中央に聖観音立像 天保11(1840)光背上部を欠いている。

DSC_0157.jpg
蓮台の下の塔の部分 正面中央に「四國西國坂東秩父順拝供養塔」その右脇には
「六地蔵大菩薩建立供養」左脇に「諸國神社佛閣拝禮」と刻まれていた。右側面
年号に続いて天下泰平・國土安全。さらに世話人4名の名前を刻む。

DSC_0158.jpg
塔の左側面 武州新坐郡溝沼邑 観音堂 願主元應。左脇に道師 清澤山泉蔵寺現住
権大僧都 法印快實と刻まれていた。

DSC_0159.jpg
六地蔵は二体だけややサイズが小さく後から補われたものかもしれない。右側の
三体は顔の表情、衣装の様子などから同時に建立されたものだと思われる。

DSC_0161.jpg
台は風化が激しいものが多いがそのうち右から2番目に當村万人講、一番左の台に
かろうじて天保の文字が見える。中央の聖観音の塔の銘文から考えても、やはり
天保年間のものとして間違いないだろう。