無量寺 南区曲本2-7-8[地図]
県道79号線を南へ、四谷から曲本に入って少し行くと右手に西浦和公民館がある。その少し手前、道路右側の路地の先に無量寺の入口があった。入ってすぐ右側に本堂が立っている。
本堂に向き合うように六地蔵、こちらはいたって新しい。その向こうに丸彫りの地蔵菩薩塔が立っていた。
地蔵菩薩立像
正徳3(1713)若干の白カビはあるものの大きな欠損はなく美しい。尊顔はふくよかで、厚い蓮台に堂々と佇む。
角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中、中央に「六道能化地蔵菩薩」右脇に武州足立郡笹目領曲本村、左脇に造立年月日。塔の右側面に願主
一名の名前。左側面に施主 講中と刻まれていた。
地蔵菩薩塔の後ろ、墓地の入口あたりに二基の大型の板碑を中心に無縁仏が集められている。
板碑の右脇に庚申塔が立っていた。駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像
剣・ショケラ持ち六臂。腰のあたりにしがみつくショケラがほほえましい。
足の両脇に二鶏を半浮き彫り。足元に邪鬼が不機嫌そうな目つきでうずくまる。三猿は中央が正面向きで両脇が内を向く構図。体をやや後ろにそらすようにして座っていた。
塔の右側面に「奉納庚申」左側面に笹目領曲本村講中
十八人。結局どこにも紀年銘が見当たらず、造立年は分からない。
東福寺 南区曲本3-14-15[地図]
無量寺の入口から南へ向かい、次の信号交差点のすぐ先を右折して細い道に入り、300mほど西へ進むと、住宅街の中に東福寺の墓地があった。
入口から入ってすぐ左脇 雨除けの下に丸彫りの地蔵菩薩立像
享保15(1730)
きりっとした表情でややうつむき加減。丸彫りの地蔵像の宿命というべきだろうか、首のあたりに補修された跡があった。全体に保存状態はよく彫りもきれいに残っている。
反花付きの角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に「宮根講中
敬白」左側面に造立年月日。右側面に東福寺住弘宥和尚と刻まれていた。
その奥に六地蔵菩薩立像
天明6(1786)舟形光背型で、一部損傷がみられるものの、白カビも少なく像は美しい状態を保っている。六体の様子はよく揃っていて、はじめから一緒に造立されたものだろう。
左から3番目のお地蔵様の光背に銘があった。左脇に造立年月日。右脇には宮根講中廿二人と刻まれている。
西浦和小学校西土手道 南区曲本1-1-13[地図]
田島通りから南へ入った土手道。写真右に新大宮バイパスが並行して走っているが、土手道は若干高くなる。写真左が西浦和小学校。この土手道の、小学校とは逆側、写真右側に写っているブロック塀に囲まれた一角に石塔が並んでいた。
奥に三基の石塔。周りには小さな鳥居やら招き猫やら、色とりどりの供え物も置かれ、以前来た時に比べるとかなりにぎやかで派手な雰囲気になっている。
(こちらが2020年7月の写真)
中央 馬頭観音立像
享保17(1732)舟形光背に馬頭冠・慈悲相・六臂の馬頭観音立像を浮き彫り。光背右脇に「奉造立寒念佛爲供養二世安樂也」寒念仏供養塔である。左脇にくっきりと造立年月日が刻まれていた。持物は斧・法輪・矛・数珠と個性的で、造立年も古く、なかなか貴重な馬頭観音塔と言っていいだろう。。
左
馬頭観音塔。こちらも慈悲相・二臂の馬頭観音立像。頭上の馬頭もしっかり。光背左脇に大きく「峯岸」とあるが地名か、人名かよくわからない。他に紀年銘などは見当たらないが、馬頭観音の衣装のすそが跳ね上がっていて、江戸時代後期。寛政期以降か?
右
馬頭観音塔。風化が進み像の彫りも一部熔けて丸くなっている。それでも頭上の馬頭は比較的はっきりしていて、やはりこちらも慈悲相・二臂の馬頭観音立像。足元の部分には施主だろうか、薄く銘が刻まれていた。
無量寺 南区曲本2-7[地図]
四谷交差点から300m程南下、県道の西側に無量寺の入り口がある。
路地を30mほど進んで門を開けて境内に入ると、右にお堂があり、
その先に墓地が拡がっている。
本堂の真ん前に六地蔵が祀られていた。平成5年建立。真新しい。
墓地の入口に地蔵菩薩立像
正徳3(1713)が立っている。台の左側面に
施主講中、右側面には願主として個人名が刻まれていた。
約1年前に訪問したときは新しい前掛けで颯爽とたっていたのだが・・・
すぐその奥には無縁仏が集められていた。大型の板碑型墓石が目を引く。
その左側に何体かは首が取れて悲惨な姿になった六地蔵が立っていた。
明治の廃仏毀釈の折に災難にあわれたのだろうか?
無縁仏の中に庚申塔がたっている。年号はうまく確認できなかった。右側面に
奉納庚申、左側面に曲本村講中八人と刻まれている。
蛇の冠をいただき左手にショケラを持つ六臂の青面金剛。キツネ顔?が珍しい。
東福寺墓地 南区曲本3-14[地図」
無量寺を出て県道79号線を南に歩き一つ目の交差点を渡ると10m程先に斜め右に
入ってゆく道がある。道なりに300mほど歩くと右に墓地に続く路地があった。
門を入ると左手に大型の地蔵菩薩立像と六地蔵が祀られていた。
地蔵菩薩立像
享保15(1730)台の正面に宮根講中敬白と彫られている。
右側面には東福寺住弘宥和尚と刻まれていた。
雨除けのおかげで美しい状態を保っている。豊かな顔の輪郭、キリっとした表情。
その奥に六地蔵が並んでいた。像の規模や彫りの様子、顔の表情など、六体の
お地蔵様は似通っていて違和感は感じられない。
左から三体目のお地蔵様の光背に天明6(1786)の銘が見える。右脇には宮根講中
十二人と刻まれていた。「宮根」は曲本村の小字かと思ったが地図で曲本付近を
調べてみてもそれらしい地名は残っていないようだ。機会があれば調べてみたい。