中央区鈴谷

里見通り鈴谷バス停近く 中央区鈴谷5-6-12[地図]


国道17号線の中里交差点から西へ向かい、里見橋を越えた先、埼京線のガード手前、道路左側のバス停の近くに石塔が立っていた。


庚申塔 寛政11(1799)四角い台の上の駒型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。全体に彫りはくっきりと明快。細部までしっかりとした仕事で、その細密な彫りはいかにも江戸時代後期らしい。


髪を逆立てた三眼忿怒相の青面金剛。左手に大きなショケラを吊るす。矛・法輪・弓矢を持つ手も生き生き。足の両脇に立派な二鶏が浮き彫りされていた。


足元に邪鬼・三猿。邪鬼は両手をついて後ろを振り向くような姿で、今までも目にした覚えがある。三猿も三者三様、ちょっと型にはまらないその表現は、江戸時代後期の岩槻石工の仕事を思わせる。


塔の左側面に鈴谷村 願主 光善。横から見てもこの技巧的な彫りは尋常ではない。


右側面に造立年月日が刻まれていた。

鈴谷大堂 中央区鈴谷8-4[地図]


埼京線与野本町駅の西口から南へ向かい、巽通りの信号交差点を越えて300mほど先の交差点を右折、しばらく進むと鈴谷大堂の入口の前にでる。階段の奥、正面に本堂が立っていた。


階段を上り切ってすぐ左、小堂の中に六地蔵塔 寛文7(1667)六体の光背は形、大きさが微妙に違っているが、石質は同じ、像の様子もよく揃っていて堂々たる六地蔵という印象を受ける。


左から2番目 合掌するお地蔵様。おちょぼ口がかわいらしい。光背には断裂した跡があり、縁の一部が欠けている。光背右脇、ちょうど断裂跡のあたりから銘が刻まれているがかなり薄い。□□足立郡鈴谷村大堂六地蔵。左脇に造立年月日が刻まれていた。


右から2番目 錫杖と宝珠を持ったお地蔵様。やはりおちょぼ口で尊顔はよく似ている。こちらも銘が薄く読みにくい。光背右脇に□化逐其□ 悉成此六體(?)左脇に願□他□自 共利大堂中と刻まれていた。


鈴谷大堂の南東の角、大堂境外のブロック塀で囲まれた塚の上に石塔が立っていた。


庚申塔 明治44(1911)四角い台の上の角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣・ショケラ持ち六臂。明治時代以降に造立された青面金剛庚申塔というのはいたって珍しい。私が見てきた中では、他では新座市の法台寺、見沼区の中川の庚申塔のみ。中川の庚申塔は明治12(1879)造立で32年の隔たりがあるが実はここの庚申塔とデザインがそっくりで同じ石工さんの仕事かもしれない。

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(見沼区中川の庚申塔)


江戸時代とは趣の異なった印象の青面金剛。顔が細長く忿怒相といってもそれほど威圧感はない。左手に持ったショケラはかなり小さく、足を折り曲げてまるで泣いているかのように見えた。


足元に二匹の邪鬼。デフェルメされたマンガ的な顔をしている。その下に正面向きに腰掛ける三猿。真ん中の聞か猿の顔は「猿」というよりもまるで人間のようだ。


塔の右側面は無銘。左側面に造立年月日。続いて與野町大字鈴谷とあり個人名が刻まれていた。