東浦和6~9

大牧会館前 緑区東浦和7 [地図]

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東浦和駅から氷川神社の東を通り北上する道が国道463号線にぶつかる50m手前、
西に一本入ったあたりに大牧会館がある。道路脇に石塔が立っていた。

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馬頭観音塔 天明元年(1781)三面慈悲相六臂 真ん中の顔が破損しているが
両側の顔は穏やかな表情をしていてうつむき加減。どこか寂しげにも見える。
右側面には馬頭観世音為二世安楽。左側面には馬持拾三人、當谷中とある。

岡村家墓地 緑区東浦和7 [地図]

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県道235号線を北へ向い、東浦和入口交差点のひとつ前の交差点を右折すると
左手角のところに墓地があった。墓地の一番奥に庚申塔が並んでいた。

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庚申塔 寛延2(1749)青面金剛立像六臂 左手に鈴、右手にショケラ。これは
普通に見られる持ち方と手が逆になっている。基本的なルールがあるわけでは
ないが珍しい。右側面に奉建立青面金剛童子、左側面に大間木村講中と刻む。

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庚申塔 寛政12(1800)角柱型のどっしりとした文字塔。右側面に足立郡大間木村
會野谷・梅所講中と刻まれていた。


東浦和7丁目東浦和駅前通り路傍 さいたま市緑区東浦和7-6

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東浦和駅前通りを北に向かい、国道463号線との交差点に至る200mほど手前
東側路傍、住宅の角のところに庚申塔が立っていた。ここも庭木に囲まれ、
ブロック塀との隙間も狭く、塔が見つけにくかった。

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庚申塔 延享3(1746)日月雲 青面金剛立像 鈴・ショケラ持六臂。鈴持ちで
頭頂部が平らな髪型、ドクロの首輪、後の二組の腕が直角に折れている。
川口でよく見たあのパターンだ。確認してみると、近くの赤山街道沿いの
塚の上に並ぶ二基の庚申塔も、近くの岡村家墓地の庚申塔もこの型だ。
赤山街道によって川口とは交通や文化の交流も盛んだったはずで、両所で
同じ系統の庚申塔が見られるのだろう。

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足元に邪鬼。しっかりと二鶏が彫られ、さらに三猿と続く。

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塔の右側面「奉建立庚申塔為二世安樂也」脇に武州大崎領大間木邑と刻む。
左側面には年号。下部に講中貳十二人と刻まれていた。


尾間木中学校東の住宅角 緑区東浦和8 [地図]

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尾間木中学校の北を通る道路を東に30m、角の住宅の壁の前に馬頭観音が
三基並んでいた。

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左 馬頭観音塔 明和2(1765)三面慈悲相六臂 光背左下に施主 大熊子四良か?
木の陰、バックが真っ白な壁と写真を撮るには最悪に近いシチュエーション。

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中 馬頭観音塔 享保15(1730)三面慈悲相六臂 光背左下に大間木村とある。

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右 馬頭観音塔 天保6(1835)慈悲相二臂 足元に大間木村と刻まれていた。


尾間木小学校北路傍 さいたま市緑区東浦和8-14

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尾間木小学校の北沿いの道路、小学校の向かい側の路傍、生垣の中に
庚申塔は立っていた。資料では「尾間木小北路傍」となっていたが、
「北路傍」という範囲が意外と広い。今回のように学校の目の前も、
道路二本ほど北の位置も同じように「北路傍」と表される。もちろん
ここも通ったのだがうっかり見逃してしまっていた。生垣と石塔の
高さがほぼ同じで、石塔が奥の位置に立っていたためだろう。まぁ
それにしても注意が散漫だったといことだが・・・

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庚申塔 天明8(1788)正面 日月雲の下に「庚申供養塔」と彫る。

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遠目には白い汚れの模様のようにも見えるが、塔の下の台の正面に
ひっそりと三猿が彫られていた。

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塔の右側面に年号。左側面には足立郡大間木邑 講中十八人と刻む。

内谷墓地東南角 緑区東浦和9 [地図]

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尾間木小学校の北で北西に進む道に入って二つ目の交差点、内谷墓地の
角に五基の石塔が並んでいた。

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左 庚申塔 宝永5(1708)大きな台の上に丸彫りの青面金剛像が載っている。

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この角度では合掌した2本の腕しか確認できないが、6本のうちの4本が
破損した結果と思われる。青面金剛の下に邪鬼と三猿が彫られていた。

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台の正面に奉造立青面金剛童子二世安楽之処と彫られる。脇に大間木村
庚申待供養施主敬白とあり、台の右側面に11名の名前が刻まれていた。

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その右 庚申塔 延享4(1747)正面に庚申供養塔と彫られた文字塔。下の
台に三猿。右側面には足立郡大間木村施主貳拾五人と刻まれていた。

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続いて地蔵菩薩立像 享保11(1726)光背右に奉建立花見堂講中助力とあり
足元の台に講中17名の名前が刻まれている。


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その隣 地蔵菩薩立像 元禄4(1691)奉称名念佛二世安楽と刻まれていた。
鋭い目から口元にかけて、リアリティのある表情が印象的。

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あとの二基は文字塔。納経供養塔 安永6(1777)正面に奉納大乗妙典供養塔

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最後は念佛供養塔 年代不明 正面に念佛五百万遍供養塔と彫られている。
金網に近いためスペースに余裕がなく上から撮影した。

駒形バス停南路傍 緑区東浦和9 [地図]

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東浦和と中尾の境を通る道路を大北釈迦堂のあたりから北上すると道なりに
カーブしてやがて国道463号線に出る。その手前150mほどのところ、東側の
マンションの前に庚申塔が祀られていた。

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右 庚申塔 宝永6(1709)青面金剛立像 合掌型六臂 光背右 奉供養庚申諸願成就
木崎領中尾村施主十二人と刻まれている。一邪鬼三猿。邪鬼がカマキリのような
姿勢をしている。下部の彫りがラフな印象を受けた。

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左 中央に奉造立庚申塔と彫られた庚申塔 延享5(1748)右脇に中尾村中とあるが
左脇には施主新藤氏とも刻まれていた。

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上のマンションの北隣の住宅の通路の先に成田山という額のかかった祠が
立っていた。中にお不動様が見える。

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不動明王坐像 文化15(1818)祠の中に祀られているためか非常にきれいだ。

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右側面に此方 前川河口 鳩ヶ谷新町 道と刻まれていた。確かに目の前の道を
南に向かうと川口の前川に着く。その下には中尾村中と刻まれている。