下戸田・中町・喜沢の石仏

薬師寺 戸田市下戸田1-5 [地図]

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戸田東小学校の南100mほど、下戸田1丁目児童公園のすぐ南に薬師寺がある。
門を入って左手に石塔が並んでいた。

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入口近くに善光寺百萬編供養塔 文化2(1805)正面に善光寺百萬編供養塔とある。
左側面には念佛講中二十九人と刻まれていた。

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大きな笠の馬頭観音立像 享和元年(1801)台の中央に二頭の馬が彫られている。

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忿怒相合掌型六臂 独特の形の印を結んでいる。正面を彫り窪められた中に丁寧な
彫りの馬頭観音が立つ。足元の蓮台までもが細かいタッチで浮彫りされていた。

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丸彫りの地蔵菩薩立像が二つ並んでいた。互いにそっぽを向いてるようで面白い。

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左 享保9(1724)下の台の正面には講中百拾三人と刻まれている。

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右 年代不明 こちらの台には六十六部供養所願成就如意處と刻まれていた。
脇に罪障除滅福聚増長などの文字も見える。

下戸田氷川神社 戸田市中町1-28 [地図]

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中央通りの中町交差点の北に参道の入口がある。拝殿の左に石塔が並んでいた。
右 頭部が欠けた狛犬?寛政11(1799)中央の石祠は字が消えてしまって詳細不明。

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左 辮財天塔 天保11(1841)こちらも特に銘文は見られなかった。

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参道の入口の右側に四基の石塔が並んでいた。

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左 馬頭観音 寛政12(1800)合掌型2臂 表面は風化していて全体にはっきりしない。

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隣 庚申塔 安永6(1777)青面金剛立像 右手に剣、左手に合掌したショケラを持つ。
足の脇に二鶏。邪鬼は正面を向き両肘を張ってM字型。筋肉隆々、たくましい。
三猿はまるまるとしていてかわいらしい。全体に彫りはしっかりしている。
右側面、年号の脇 薄く読みにくいが、左 ぜんこうじ道ではないだろうか。

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左側面 右 わらび道だろう。その下に講中四拾人、足立郡下戸田村と刻まれる

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続く二つの石塔は表面の風化が進み、一部剥落した部分もあって判読が難しい。
正面上部には山が線刻されていて、その下に薄い文字が見える。下の方には同行と
読めるがこれだけではなんの石塔なのかよくわからない。右側面に文政13(1830)
その脇の文字は川口ぜんこうじ道のようだ。左側面 戸田羽黒山道と刻まれていた。
道標としても地名の選択は不思議な感じがする。「羽黒山」「同行」から考えると
出羽三山供養塔なのだろうか?

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右の石塔は正面の山の部分はよく残っているがあとは風化が激しい。右側面に
地名が刻まれていたがうまく読み取ることはできなかった。

 

常福寺 戸田市戸田市中町2-4 [地図]

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喜沢中学校の北100mほど、南側にあるこちらの山門はいつも閉まっていて、
通常は東側の通用門から出入りする。

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山門から入ったとすると正面に本堂、左手には観音堂がある。

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本堂の左脇、観音堂の隣に新しい六地蔵菩薩が祀られていた。

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六地蔵の奥、本堂の西に石仏が並んでいる。本堂近く、大きな地蔵菩薩立像。
後に六地蔵の小堂と観音堂が写っている。

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下の台には無佛世界度衆 今世後世能引導と彫られていた。右側面はカビのため
判読不能。左側面には有縁無縁とだけ刻まれていてその他の銘は見当たらない。
多分右側面に年号等が刻まれていたのだろう。

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少し離れてさらに西、庚申塔 天和3(1683)青面金剛立像 合掌型六臂。光背の
一部が欠けているが右脇には奉待庚申供養二世安楽處と刻まれていた。

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邪鬼の姿は見えず、下部には三猿ではなく二猿が彫られていた。江戸初期、
庚申塔の一般的な構成が成立する以前のものということだろう。

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その奥、大きな台の上に地蔵菩薩坐像が見える。全体にカビが目立っている。

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台の正面に南無阿弥陀佛と彫られていた。左側面には奉納大乗妙典六十六部
日本廻國供養とあり、脇に戸田領上戸田村、願主個人名が刻まれている。

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参道の東側に鐘楼があり、その隣に石仏が並んでいた。

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四基の石仏 地蔵菩薩、阿弥陀如来、聖観音菩薩立像は正保、寛文など江戸時代
初期の年号と個人の戒名が刻まれている。四体とも状態はいい。

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一番右 六字名号塔 文化13(1816)徳本上人の書で南無阿弥陀佛と彫られていた。

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左側面にうたが刻まれている。戸田市のHPで調べてみると「若くとも 無常の風の
さそいなば 辞退したとて ゆるしやせぬぞよ」となっていた。

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鐘楼の南側、石仏と並んで大きな宝筐印塔が立っているのが見える。

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宝筐印塔 寛政2(1790)塔身から上は平成3年に補修されたものだという。

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正面中央に南無阿弥陀佛、右脇に本堂再建供養、左脇に諸寺院江寄附金一万両余
供養塔と彫られていた。個人の善行の詳細をを記録するために造塔されたらしい。

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下の台には寄附先寺院名と寄付金額が具体的に刻まれていた。

 

喜沢の神明神社 戸田市喜沢南1-8[地図]

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喜沢中学校の北の路地の角に神明神社がある。境内の西端に石塔が並んでいた。

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庚申塔 明和6(1769)青面金剛立像 六臂 白目を剥いて恐い顔をした青面金剛は
左手でショケラの髪をつかみ、観念したショケラは足を折り曲げしがみつく。
彫りは立体的で本格的。左側面 戸田領下戸田村講中三十五人と刻まれている。
右側面には奉造立青面金剛諸願成就所と彫られていた。

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足の脇にやや薄い彫りで二鶏。邪鬼は両腕で重さに耐えつつ、かなりお尻を
突き出している格好が面白い。三猿もしっかり彫られていた。

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隣 出羽三山供養塔 文政3(1820)きのこのような笠がユニークだ。下の台には
正面、側面合わせて講中20名ほどの名前が刻まれていた。