桜区栄和

 

蓮乗寺観音堂 桜区栄和6-11-5[地図]


新開通りと県道57号線の信号交差点から西へ60mほど進み右折、北へ向かうと250mほど先の道路左側、T字路交差点の角に蓮乗寺観音堂があった。


境内に入ると左側に六地蔵の小堂が立ち、その左脇にも石塔が並んでいる。


入口近く、馬頭観音塔 昭和63(1988)隅丸角柱型の石塔の正面に「馬頭観世音」左側面に願主三名の名前。


右側面に造立年月日。最後に「再興」とあるので、創建は江戸時代か明治時代だろうか。


続いて足立百不動尊標石 安政6(1859)角柱型の石塔の正面、中央に「大聖不動尊」右脇に足立第五十五番、左脇に八十八ヶ所二十九番 弘法大師。その下に中央山 蓮乗寺。


塔の右側面は無銘。左側面には 東 なかしま江 七丁、まちや江 七丁、南 だう志やう(道場)江 六丁。その横に造立年月日。さらに西連寺村。下部に願主一名の名前が刻まれていた。


その右隣 丸彫りの地蔵菩薩立像 安永6(1777)四角い台の上に角柱型の石塔、その上に蓮台に立つ地蔵菩薩像。


丸顔のお地蔵様、欠損もなく彫りもきれいに残っている。


石塔の正面中央「念佛講中」両脇に造立年月日。右下に願主、左下に智照。


両側面にそれぞれ童子、童女を含む五つの戒名が刻まれていた。


小堂の中に丸彫りの六地蔵菩薩立像 昭和63(1988)台の正面に多くの名前が刻まれている。入口近くの馬頭観音塔と同じ年の造立。近年までこうした信仰心が保たれているのはすごいことだと思う。

 

さかわ幼稚園向い 桜区栄和1-22[地図]


蓮乗寺観音堂の前の道をさらに北へ向かうと、150mほど先、道路左側に「さかわ幼稚園」がある。その道路を挟んだ向かい、用水路の脇に朱色の小堂が立っていた。中に二基の庚申塔が並んでいる。


左 庚申塔 宝永6(1709)四角い台の上、大きな宝珠を乗せた唐破風笠付き角柱型の石塔の正面、青面金剛立像 合掌型六臂。


像の上に日月雲がないのは珍しい。かわりに青面金剛の持物、右上手に月天、左上手に日天である。右下手に鏑矢、左下手に弓。青面金剛の足元に邪鬼が見当たらない。これは元禄期の青面金剛庚申塔によく見られる特徴だが、元禄期に続く宝永期、ほぼ同じ時期と言えるだろう。


塔の左側面に造立年月日。右側面に武刕足立郡与野領西連寺村と刻まれていた。


右 庚申塔 安政3(1856)四角い台の上、駒型の石塔の正面に大きく「庚申塔」右脇に天下泰平、左脇に村内安全。


台の正面右には〇正の紋。その下に同行とあり八名の名前が刻まれている。


塔の左側面、中央に造立年月日。右脇に 北 よの 大山道。左脇に 東 わらび 江戸道。


右側面は隙間が狭く、小堂の板壁の隙間から銘をのぞき込む。中央に足立郡与野領 西連寺村。


その右脇、南 はやせ ミち。


左脇に 西 は弥くら 引又道。両側面合わせて、四方向、七地名が刻まれた道標になっている。
 

右側面下部には願主とあり、三名の名前が刻まれている。


小堂の中、石塔の裏に掲げられた板に 「栄和下 庚申講」とあり、講元、世話人をはじめ多くの名前が記されていた。左端に平成六年十月吉日とある。たぶん江戸時代にこの地で結成された「庚申講」が、その後も途絶えることなく続いてきたということだろう。

重円寺南西路傍 桜区栄和2-22[地図]


さらに北へ300mほど進み、ドラッグストアの少し先で右折、少し行くと右手の交差点の角に小堂が北向きに立っていた。


庚申塔 享保5(1720)四角い台の上 こちらも宝珠を乗せた唐破風笠付き角柱型の石塔の正面 日月雲 青面金剛立像 剣?・ショケラ持ち六臂。


ムッとした表情の青面金剛。持物は矛・法輪・弓・矢。体の前の右手は剣で刃の部分が欠けたものか?髪の毛をむんずとつかまれたショケラは腰のあたりにすがりつく。


青面金剛の足の両脇、白カビの中に二鶏を半浮き彫り。足を折り曲げうずくまる邪鬼は寂しげな表情。その下の正面向きの三猿も白カビがこびりついていた。


台の正面、線香立ての陰になっていて気が付かなかったのだが、薄く銘が刻まれている。はっきりとは確認できないが、施主名ではないだろうか。


左右両側面には大きな蓮華を浮き彫り。右側面には造立年月日が刻まれていた。


小堂の内側、右側面に「栄和第二庚申講」と書かれた板が掲げられていた。栄和幼稚園向いの庚申塔にあった「栄和下庚申講」が第一で、こちらが第二か?左端に平成十九年十一月吉日とあり、こちらの小堂のほうが後からたてられたもののようだ。今の時代まで続く栄和の二つの庚申講。この地域が新興住宅地ではなく、古くからの家が多く残っているということなのだろう。

 

重円寺 桜区栄和3-17[地図]



新大宮バイパスと埼大通りの信号交差点から250mほど南を右折して西に進み、さらに300mほど先から右の路地に入ると突き当りに重円寺がある。


境内に入ってすぐ右側、雨除けの下に地蔵菩薩立像 享保7(1722)二段の四角い台だが下の台はごく新しいもののようだ。


舟形光背の右脇に「地蔵大菩薩」左脇に造立年月日。右下に武州足立郡千駄村。左下に願主二名の名前が刻まれていた。


その裏に六地蔵の小堂が立ち、右脇に表裏に描く三基六基の石塔が並んでいる。


小堂の中、丸彫りの六地蔵菩薩立像。六体はよくそろっているが、風化のためか尊顔はいずれもあいまいではっきりしない。


台の正面は六基とも無銘。右側面は右から「念佛」「村中」「老若」「男女」「講中」左端は両側面に戒名と明和4年、明和7年の命日が刻まれている。残りの五基の左側面にもいくつか戒名が見えるが、造立年月日は見当たらなかった。


小堂の右脇、表の三基の左 開山塔 寛保2(1742)丸角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中「堂中興開山本蓮社願譽霊□」両脇に紀年銘。命日だろうか。


中央 納経供養塔 安永10(1781)角柱型の石塔の正面、阿弥陀三尊種子の下「奉納経 坂東・西國・秩父 四國 供養塔」


塔の左側面に先祖菩提。右側面に二親菩提。その下に千駄村 法子覚住と刻まれていた。


右 妙典供養塔 宝暦6(1756)角柱型の石塔の正面を彫りくぼめた中に「妙典千部供養塔」大乗妙典供養塔だろう。塔の両側面に造立年月日。右側面の千駄村 従縁寺と刻まれている。
 

裏の三基。左の二基はいずれも頭部が欠けた地蔵菩薩塔。こちらはどうやら墓石らしい。


右 四国移霊場標石 宝暦10(1760)角柱型の石塔の正面、右から四國順禮之移、中央に拾八番 従縁寺。塔の右側面に南無大師遍照金剛。左側面に本尊 薬師如来。裏面に造立年月日。続いて願主 神山氏と刻まれていた。


六地蔵の小堂の左に多くの石塔が並んでいる。


右から 宝篋印塔 享保19(1734)宝珠を乗せた相輪、屋根型の笠。基礎三面に「宝筐院陀羅尼経曰・・・・」で始まる長い銘文。裏面に造立年月日が刻まれていた。


その隣 庚申塔 寛文9(1669)相輪をのせた唐破風笠付き角柱型。同年に鹿手袋の寶泉寺の三猿庚申塔、道場の地蔵庚申塔が造立されていて、いずれも江戸時代初期独特、ユニークな庚申塔である。


塔の正面を二重に彫りくぼめた中、上部に合掌する猿の坐像を浮き彫り。こちらは一猿庚申塔。その下に「奉造立庚申供養」下部に薄く十数名の名前が刻まれていた。


続いて 如意輪観音坐像 寛文12(1672)大きな舟形光背に二臂の如意輪観音像を浮き彫り。町谷の薬師堂 寛文3(1663)、道場の金剛寺 延宝4(1677)とほぼ同じ時期に競い合うように造立された三基の大型の如意輪観音。それぞれ違った味わいが面白い。


光背右脇、銘は薄く自信はないが「有□造像化合□邊 爲将□樂□上天」あまり見たことのない銘文で意味も分からない。左脇に造立年月日。さらに武州足立郡千駄村 惣信・・・。胸の真ん中に梵字「キリーク」が刻まれていた。


更に二基の墓石が並び、その奥 阿弥陀如来坐像 寛文12(1672)正面に蓮が浮き彫りされた四角い台の上に厚みのある反花付きの台を重ね、丸い敷茄子に重厚な蓮台。丸彫りの坐像を乗せて総高は2mを優に超す。


定印を組んだ阿弥陀如来はかすかな笑みを浮かべていた。


六角形の反花付きの台の正面に造立年月日。その左右両面にそれぞれ10名ほどの名前が刻まれている。


その隣 石灯篭 寛文13(1673)四角い竿の正面に造立年月日。その下に千駄村。続く二基の石塔はどちらも歴代住職の墓石だった。